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日の落ちた小道に雨が降りしきる。
並びながら歩く人影はふたつ。ぼんやりと光を投げる外灯の下、傘もふたつ揺れている。
平均よりもぐっと長身なその二人組みの、少し低いほうがくるくると傘を回した。
少し後ろを歩いていたより高いほうが、こら、と声を上げる。

「水飛んでんじゃねーか。子供みたいなことしてんじゃねーよ」
「それだけ濡れれば一緒だろ?細かいこと気にするなって」
低いほう――オラクルのけろりとした声に、高いほう――オラトリオは肩をすくめたようだった。
「やっぱり車出せばよかったかなぁ。出るときに晴れてたから、油断した。やっぱ梅雨だな」
「そう?私、歩くのも雨も好きだよ」
「お前に風邪ひかすと後から俺があちこちからどやされんだよ」
「そんなこともないだろ」
「あるの!」
オラトリオが唇を尖らせて、まだ釈然としない顔しているオラクルはそれでもそうかなぁと小さく呟いただけでそれ以上の問答を控えた。周囲が自分に過保護なことに、彼は彼なりに気付いてはいるらしい。
自分の周りには優しい人ばかりだとオラクルは云う。しかしそれは少し違うだろうというのがオラトリオの意見だ。きっと、周囲の誰もがオラクルに優しくせずにいられないのだろうと。



 「紫陽花が見事だから見に来い」



その命令口調の誘いに乗って、カシオペア家を揃って訪れた帰りである。
流石にコードが「見事」と言い切るだけあって、カシオペア家の庭の一角に植えられた紫陽花は色も鮮やかに盛りを誇っていた。
艶のある大輪の紫陽花が露に濡れて光を返す様を2人は惜しむべくもなく賛辞し、コードは満足げに目を細めた。久しぶりに会うオラクルと淡雪(カシオペア家の猫だ)も旧交を十分に温め、淡雪はその毛並みを褒めたオラトリオの膝の上でも丸くなっても見せた。
幾つかの〆切を続けてこなしたばかりの二人には、いい気分転換になった。
本当はただ外を歩くだけで体の中が洗われていくような心地なのだ。吸っては吐き出す空気はたっぷりと水気を含んでひやりと冷たく、不純物は地に叩き落しされ清浄さを保っている。
そして、特に楽しい時間のあとでは沈んだ気持ちも続かない。
一旦小さく俯いてしまっていたオラクルの傘が、くるりとまたひとつ回される。気を取り直して雨の散歩を楽しむことにしたらしい。オラトリオの少し先を歩くオラクルの背中が、すっと伸びた。ぱしゃん、とオラクルの足元で水が跳ねる。あえて勢いよく水溜りに突っ込んだようにオラトリオには見えた。ぱしゃん、ぱしん、と水音が鳴る。まるで応えるように、街路樹から落ちる雫がばらばらと傘を鳴らした。
「tululu…」
小さくオラクルが小さく口ずさみ、くるり、とまた傘が回される。
覚えのあるメロディは古い古いミュージカルの中で、黒衣の男が雨の中唄う歌だ。恋人を想い、唄う歌。ぼんやりと、いつだっけかにも彼がそうやって唄うのを聴いたことがあるような気がした。
「お前結構気に入ってるよな、それ」
その言葉に、オラクルが振り向いて笑う。
「そう。好きなんだ、この唄。一緒に観たんだっけ」
嬉しげに笑う顔が振り向いて立ち止まる。同時に、さっとオラクルの傘が振り下ろされた。
髪を、肩を、降り止まぬ雨がしとどに濡らしていくのをさして気に留める様子もなく目を閉じる。
閉じた目蓋の先で、長い睫毛が微かに揺れた。


まるで確かめるように深く息を吸い込んで、
「雨に濡れるの、好き」
穏やかな声で数え上げていく。
「雨の匂い、好き。雨の音、好き。雨の空気、好き。水溜り、好き。雨、好き」
幼い子供が言い募るように、短い詩を口ずさむように。遠い約束を思い出す人のように。
目を閉じたままオラクルが、うっとりと微笑むような唇で囁いた。


雨はいいなぁ、とごく素朴にオラトリオは思う。
オラクルに、あんな風に好きと云ってもらえて。
雨はいいなぁ、とオラトリオはもう一度胸の内で繰り返す。
オラクルに、あんなにも好きと云ってもらえて。
平素であれば嫉妬にも羨望にも育つのであろうそれは、柔らかな雨のヴェールに邪魔されてか、驚くほどの簡素さでオラトリオの中に転がっている。瞬きをする間にも消えてしまいそうなほど不安定なその無機的な感覚を、悪くないとオラトリオは思った。
ああわかったよ、と諦めたように溜息をひとつ。
「わかったから、傘くらいさせ」
オラクルの濡れた額に前髪が張り付いてしまっている。腕を伸ばしそれをかきあげて髪の間に指を差し込むと、僅かな間にしっとりと露を含ませていた。ほんのりとあたたかい。
目を開いてオラクルが笑う。


その唄う歌の通りに、頬で雨を受けとめながら。









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雨大好きなオラクルさん、今度はIFで。
他人にはちゃんと気を使いますが、身体強いわけじゃないけど何となく何気なく上記のようなことをしてしまう人。多分このあと、家に帰りついて速攻で風呂に叩き込まれるので風邪を引くことはなかったろうと思われます。