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午前中の家事と午後のおやつや食事の準備、少しばかりの仕事をやり終えてオラトリオはひとつ伸びをした。
「さあて、と」
明るく穏やかな昼下がり。いかにも心地よさげな風が緑を揺らした。さわさわ、と新緑の触れ合う音がまるで唄うようにオラトリオを誘う。おいでよ、おいでよと、抗うべくもない優しさで。
「散歩のついでに、ちびのお迎えにでも行きますかー」
ちょっと違うだろ。突っ込んでくれる人はいなかった。



末弟の通う幼稚園は、お迎えの母親や幼児で賑わっていた。
長身の青年がのらりくらりと歩み寄ると、奥様方がきゃあと色めきたつ。街中にいてさえ目立つ顔立ちやずば抜けた長身、その若さはややその場には不釣合いで、そしてある意味で名物だ。
「ラッキー、今日はお兄ちゃんねv」
「あの兄弟見応えがあっていいわ〜」
「オラトリオ君もいいけど、シグナル君も可愛いのよねー」
「あ、あたしパルス君派」
「日々の生活に楽しみがあるって大事よね!」
其処此処でそんな会話も交わされ、奥様方の潤いや世間話のタネにも貢献していたりする。
しかし、この幼稚園の真に恐ろしいところは、おそらく名物が一人ではないところであろう。
にこやかな笑顔とさりげない誉め言葉をいつものように惜しげもなく女性たちに捧げ、囲まれながらも器用にかわし、擦り抜けた先にはオラトリオの弟と若い保父の姿がある。
高い位置から降りてくる「よう」という簡単な挨拶に、しゃがみこんで小さな園児と話していた保父が顔を上げた。立ち上がって「こんにちは」と丁寧に頭を下げる。
この保父が、もう一人の名物だ。
こちらの身長はぐっと控えめで、体格は細い。白い頬にはらりとうちかかる明るい金の髪をかき上げると、女性と見紛うばかりの美貌が現れる。澄んだ緑の瞳には笑みが浮かんでいる。
名前をカルマという。
彼の細い指がついとオラトリオが来た方向を指差した。
「向こうが騒がしかったから、きっと貴方が来たんだろうって話していたところですよ」
「えっへん、大当たりです!」
足元でふん、とちびが精一杯に胸を張って威張る。ただでさえ幼児は頭が大きくバランスが悪く見る。額を突付いたらそのままこてんと後ろ向きに倒れてしまいそうな勢いだ。
オラトリオがにやりと笑って、それをひょいと抱き上げた。
「おうよ、おにーさんは人気者だからな!まぁ問題としては簡単すぎるだろう」
だけど合格点だ、と大きな掌でくしゃくしゃとちびの頭を撫で回した。
きゃあきゃあと声を上げて喜んでいたちびが、目をきょろりとさせてオラトリオを見上げる。大きな瞳が、きらりと光った。
「オラトリオおにーさん、いいにおいがします〜」
ふんふんと鼻を鳴らす。丁度指先を近づけられた仔犬がするような仕草がおかしくてならない。
「分かるか?今日のおやつは焼きたてクッキーだ」
「わぁいv」
諸手をあげて喜んだちびが、それからはたと何かに気がついたような顔になる。
目線でどうしたと促せば、にっこりと笑った。子供らしくばら色をした頬がふくふくと柔らかそうに盛り上がる。子供好きなら――、否、子供であった時代を覚えている人なら、思わず頬擦りしたくなるような愛らしさだ。
「おかーさんのにおいですね!」
「おかーさんじゃねぇ!!」
「ええ!でもお料理していたにおいはおかあさんのにおいですよ!」
やっていることは確かにお母さんだが、そう呼ばれたくはない成年男子の心の機微と云うものを、幼稚園児はなかなか理解してくれないらしい。こうと思い込んだら譲らない頑固なところはいったい誰に似たのかと、オラトリオは軽い頭痛すら覚えた。何が怖いかってそれが家系なんじゃないかということだが。
勢いよく怒鳴り返したオラトリオに、 くすくすと笑いながらカルマが突然のおかーさん扱いの理由を教えやる。親しみのこもる柔らかい口調は、子供を諭すときのものにそっくりだ。
「今日ね、お歌を歌ったんですよ。おかーあさん、なーあに♪ってね」
ああ、アレねとオラトリオはげんなりした顔になる。
そういえばごく小さいころに、自身も歌ったような気がする。
「確かに洗濯も飯炊きもするけどねー」
釈然としないんだよなと呟く男の肩を、くすくす笑う保父が頑張りなさいとでもいうようにぽんぽんと叩いた。遠い眼をする兄に、ちびも保父の真似をしてぽんぽんと腕を叩いた。
よく晴れた初夏の空が、悩み多き長兄の小さなため息を吸い込んでいく。
今日も平和だと、太陽が笑い飛ばした。









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地域社会で生きる彼らを想像するのは、結構楽しかったりします。奥様戦隊の一員となって私も見守りたい。